資料集

会社概要

光武酒造場は元禄元年(1688年)の創業ですが、企業理念に「酒造りは人づくり」を掲げ「伝統の中からの革新」を合言葉に時流を的確につかみ、昔からの酒造りの伝統は守りながらも一つ一つの製品の品質向上には絶え間のない努力を続けています。

私達はお酒の美味しさが人々の気持ちを豊かにしてくれて、沢山の人々が幸せを感じられるような酒造りを目指しています。

飲んでいただいているお客様が、販売に携わっている方々が、地元の方々が、そして社員全員が誇れるような蔵元(企業)が目標です。

社員一人一人が、一人の人間として、そして光武酒造場の社員として成長をし、それを企業の製品・会社の成長に反映させていき、社会に貢献してまいります。

会社名 合資会社 光武酒造場
代表者 社長 光武 博之
所在地 〒849-1322 佐賀県鹿島市浜町乙2421
電話番号 0954-62-3033
FAX番号 0954-62-3075
創 業 元禄元年(1688年)
会社設立 昭和30年11月
事業内容 清酒・焼酎・リキュール・発酵食品の製造・販売

蔵元の歴史

昭和30年11月 会社設立 光武員馬により法人設立
昭和52年10月 光武 馨 社長就任(46才)
昭和59年3月 光武 博之 社長就任(21才)
平成8年 焼酎製造開始
平成23年 リキュールの製造免許取得・製造開始 発酵食品の製造開始

創業は元禄元年と非常に歴史も長く、また佐賀県の中でも光武学校と呼ばれるぐらい杜氏としての輩出が多い蔵です。

40年ほど前から吟醸造りにも力を入れ、鑑評会においても数々の賞を受賞しており、近年では世界最高権威と評価されるコンペティションIWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)でのゴールドメダル受賞をはじめ、数々の海外主催コンクールでも高い評価を頂いております。

20年ほど前から焼酎を手がけ始め、芋・麦・米の焼酎を造り、モンドセレクション、全国酒類コンクール等において長年にわたり受賞しております。

材料へのこだわり

当社で使われている原料のお米は佐賀県の専属農家で作られた上質の酒米を主に使用していますが、近年では食の多様化に合わせて、多彩な味の表現ができるように全国の酒造好適米を使って酒造りをおこなっております。

主な使用品種
山田錦

酒米の横綱といわれるほどお酒造りに適した酒米です。良質の酒米の条件を全てクリアしたまさに日本酒のためのお米です。

五百万石

日本で山田錦に次ぐ作付面積を誇る酒米です。淡麗できれいな酒質のお酒をつくるのに適しています。

美山錦

全国3位の生産量を誇る日本を代表する酒米のひとつです。東北地方で広く栽培されており、スッキリと軽快な味わいを醸します。

雄山錦

富山県で誕生した収穫時期が早く早造りにも適した酒米です。濃醇でふくらみがあり、味のバランスが良いお米です。

夢しずく

佐賀県の食用米として有名なお米です。近年では酒造好適米以外の食用米での酒造りにも取り組んでおります。

水へのこだわり

当社で使われている水は全て多良山系の良質な伏流水を使用しています。敷地内に井戸があり徹底した品質管理の下良質の水を使うことにより原料の洗米から割り水まで水にこだわりを持ってお酒造りをしています。

多良山系は長崎・佐賀両県にまたがる山で五家原岳(1,057m)、多良岳(983m)、経ヶ岳(1,076m)などがあります。古い火山で浸食が進み、急峻な峰と深い渓谷がところどころに配置され、南側下流には「轟の滝」は名水とともに、数々の美しい滝と渓谷で知られています。

杜氏紹介

杜氏(とうじ)とは、日本酒の醸造を行う際の監督者であり、なおかつ酒蔵の最高製造責任者のことをいいます。この杜氏によりお酒の味が決まるといっても過言ではありません。
当蔵では次世代を見据え平成27年より若手の吉田龍一氏を新しく杜氏に据え、伝統を重んじながらも、光武酒造場に新たな風を吹き込む存在として、日夜酒造りに邁進しております。

代表銘柄紹介

●清酒

光武 (みつたけ)
金波 (きんぱ)

●芋焼酎

魔界への誘い (まかいへのいざない)

●麦焼酎

舞ここち (まいここち)

肥前浜宿

肥前浜宿は浜川の河口に作られた在方町で、室町時代には町として成立していたと考えられています。

江戸時代は長崎街道多良住還(多良街道)の宿場町として栄え、また有明海に臨む港町として明治以降も酒造業や水産加工業に支えられました。

人口も多く、江戸時代から「浜千軒」と言われ、津郡でも有名な町でした。400年ほど前の慶長年間には、スペインのドミニコ会が肥前で最初に教会を立てています。

このような歴史を持つ町並みは今でも土蔵作り草葺の町やが立ち並び伝統的な景観を色濃く残しています。

これらの伝統的な建物は、江戸時代後期から昭和初期にかけての建築が中心ですが、草葺民家から洋館まで、バラエティに富んでいます。

また肥前浜宿は江戸時代からそれぞれの地区に異なった業種の人々がすみ分けていた名残で、今でも地区ごとに町の雰囲気が異なります。そのため旧街道沿いには、商家町、猟師町、下町、田園など変化に富んだ風景が広がります。